以前、協会の営業委員会(当時)の会議で香川県を訪れたことがあったが、それからおよそ10年余りの昨年、期せずして彼の地を再訪することとなった。仕事でも観光でもなく、入院で。療養の地は、愛媛県に隣接する観音寺(かんおんじ)市。不安を胸に讃岐の国に降り立つと、そこは祭りの季節。しかも観音寺は壮麗な山鉾が町を練り歩く「ちょうさ祭」の真っ最中。さりながら、新米入院患者に祭見物など許されるはずもなく、ガイドブックの写真で雰囲気を味わうのみ。この祭の名称にある“ちょうさ”は、祭に欠かせない、美しく飾りつけた山鉾のことだ。
狂言『千鳥』には、“ちょうさ”が登場するが、ここでは祭の山鉾ではなく、山鉾を引く際の「かけごえ」である。太郎冠者は主の言い付けで酒を買いに行くが、ツケがたまっていて売ってもらえない。酒屋の亭主は太郎冠者に、面白い話をすれば売らないでもない、と言うので、太郎冠者は、祭の話をして亭主が興に乗った隙に酒樽を奪おうと考える。亭主が“ちょうさやようさ、ちょうさやようさ”と囃すと、太郎冠者が“えいともえいともえいともな、えいともえいともえいともな”と返し、酒樽を山鉾に見立て、引きまわす真似をする。
かけごえの“ちょうさ”は、上方の祭礼で山や鉾を引く時によく使われたらしい。観音寺のちょうさ祭は京都の祗園祭由来とされ、150~160年位前に当地に伝わったらしいということだから、古くからある祭のかけごえの調子のよさが山鉾に名を残したのだろうか。ちなみに今日のちょうさ祭のかけごえは、「チョーサジ、イッサンジャーソラー、サーセエサーセエ」である(さぬき豊浜ちょうさ祭実行委員会ホームページより)。
日葡辞書(1603年に発行された日本語をポルトガル語で解説した辞書)補遺には、「・・・その他同種の多くの語は、荷物を曳いたり、仕事をしたりするときに用いられる、民衆の表現であり、叫びである」とある(岩波書店刊『日本古典文学体系狂言集(上底本:山本東本)』より)。当時の日本語の音(オン)は、現代のそれよりも強かったということだから、“ちょうさ”は、調子のよさに加え、私たちが想像するよりもずっと力強く祭の場に響きわたっていたのかもしれない。
事務局 渡辺攝子
(2007年/平成19年)