能舞台で演じられる狂言という中世以来の伝統演劇は、能と同様、舞台装置や小道具をほとんど使わない。役者の言葉や身振りですべてが表現される。川だと言えば川のほとりであり、都に着いたと言えば、何百キロ離れていようと一瞬にしてそこは都のただ中である。
音も役者の声で伝えられる。
演目のひとつに「鐘の音」がある。
太郎冠者が鎌倉の寺々をたずね釣鐘の音を聞いてまわる。主人にかね金の値を聞いてこいと言いつかったのを、鐘の音(かねのね)と聞き違えたことから起こる失敗なのだが、鎌倉に着いた太郎冠者は、五大堂、寿福寺、極楽寺をおとずれるが、それぞれグヮンという破れ鐘の音であったり、チーン、コーンという音色で満足できない。建長寺にいたって、やっと思いどおりの鐘の音(かねのね)を聴くことができる。その音を、ジャーン、モーンモーンモーン・・・・と、ゆったりと深みのある力強い大鐘の響きとして、余韻まで感じさせるように息長く聞かせる。
役者が自分の声で釣鐘の音色をつくるのである。
「神鳴」という曲は、はやらなくなった都のヤブ医者が、東国でなら商売もなんとかなるだろうと旅をしている。すると雷がヒッカリヒッカリ、グヮラリグヮラリと、稲光と雷鳴をとどろかせながら威勢よく舞台中央に走り出てきたかと思うと、グヮラグヮラ、ドーと言いながら医者の目の前に落ちる。医者に針治療をさせるが、雷の腰に大きな針をたてるとき、医者は木槌でグヮッシ、グヮッシと言いながら打ち込む。
「棒縛」や「樋の酒」、「伯母ケ酒」などでは、酒を飲みたい一心で、重い酒蔵の戸をグヮラグヮラグヮラグヮラと開ける。たっぷり酒をつぐときはドブドブドブ・・・。声に出して言うだけでなく、身振りがともなうから分かりやすい。
鳥や動物の鳴き声を聞くこともできる。
「止動方角」にはウマがでてくる。茶色の縫いぐるみを着て面をつけ四つんばいで、ヒヒーンヒヒーンといななく。狂言にはウシも登場するが、モーとなく。
「柿山伏」では、人間がとりの鳴き声を聞かせる。山伏が空腹にたえかね、柿の木にのぼって柿を盗み食いするところを見つかってしまう。柿の木の持ち主はからかい半分に、人間ではなくカラスだ、サルだ、トビだろうといって、鳴かなければ殺すと言っておどす。山伏はつぎつぎに、カラスはコカコカコカコカ、サルはキャーキャーキャーキャー、トビはヒーヨロヨロヨロヨロと鳴き声をまねて難を逃れようとする。
釣鐘の音、雷鳴や稲妻、戸の開け閉て、動物の鳴き声などを音声で表現する語を、擬声語という。キラキラ、ピカピカ、ハッキリ、シッカリなど物事の状態や様子を、それを示すのにふさわしい音で表わした語を擬態語ということもあるが、これもふくめて、戸のガラガラ、雨のザーザー、サルのキャーキャーなどともに、擬声語、オノマトペと言われている。
この擬声語は日本語のひとつの特色である。ある調査によると、日本語では英語の3倍、別の調査では5倍にももなるという。
狂言という演劇は、この豊かな擬声語にささえられて成り立っているともいえる。
それにしても、600年も前に誕生した狂言の擬声語は、現代人の耳にもそれほど違和感はないだろう。カラスのコカコカも、サルのキャーキャーもカ行音で発音されるし、トビは今はピーヒョロだが、よく似ている。
さて、イヌはどうだろう。
狂言「犬山伏」の山伏は神主と争いを起こし、イヌがなついた方を勝ちにするというので懸命に祈るが、神主にはなつくのに山伏はビョービョーとほえたてられて負けてしまう。
狂言のイヌはワンワンではなく、ビョービョーと鳴くのである。
これはなぜか。
山口仲美さんは、このころイヌはほとんどが放し飼いで野犬の状態だった、「犬の声は闘争的でにごってドスの効いた吠え声であったと想像されます。「わん」と写すより、「びよ」「びょう」と濁音で写すのがより適切と思われるような声であったのではないでしょうか」と著書『犬は「びよ」と鳴いていた』で推測している。イヌがワンワンと鳴くのは、江戸時代になって、落ち着いた環境でイヌが飼われるようになってからのことらしい。
イヌは狂言の舞台でだけ、今も荒々しくビョービョーと鳴くのである。
http://www013.upp.so-net.ne.jp/hrt/
昭和7年(1932年)3月27日生まれ。
昭和29年、東京都立大学卒業。
同年、NHKアナウンサー。
昭和61年、NHK退社。
同年、お茶の水女子大学講師
平成6年、お茶の水女子大学大学院教授。
平成9年、お茶の水女子大学を定年退官。
昭和52年、社団法人能楽協会会員(大蔵流狂言師)