JAPAN BGM ASSOCIATION.

■エッセイ・コラム

名前の魔法
感性アナリスト、随筆家 黒川伊保子

「この世で一番短い呪(しゅ)とは・・・名だよ」


これは、私の大好きな岡野玲子氏のベストセラーコミック「陰陽師」の中で、主人公・安部晴明がつぶやく名セリフである。「呪とは、ようするにものを縛ることよ」「ものの根本的な有りようを縛るというのは名だぞ」と、晴明のセリフは続く。


たとえば、ユリコと名づけられた娘は、毒舌を吐いて他人を突き放す、というようなキツイ行為がなぜかしにくい。やわらかく華のある名で呼ばれると、その娘の周囲にやさしく華やいだ空気ができる。その空気を破って「あんた、バカじゃないの」と怒鳴ることは、とてもしんどいのである。すなわち、やわらかい名をつけられた娘は、その名に縛られ、「優しい女」として生きることを運命づけられているのである。


名は美しい祈りである、と、私は幼い頃から感じていた。その昔、女が男に名を教えることは魂を触らせる行為だった。その女が生まれたとき、名を与えた年長者は、彼女のいのちへの祈りを名に託したはずである。名を呼ばれるということは、名の持ち主にとって祝福の呪文なのだ。祝福の呪文に縛られて、やわらかい名の女は「優しい女」というかたちに閉じこめられていく。そうして、「優しい女」が手にする幸福を手にしてゆくのだ。したがって、男に名を呼ばせるということは、魂をあずけるのと同じ。深窓の姫君が、その名を夫にしか明かさなかったのには、ちゃんとわけがある。  そういえば、イギリスのファンタジーの定番で、魔法使いは本名を明かさないという常識がある。本名を明かすと敵の魔法使いに弱点がばれ、死の呪をかけられてしまうのである。名前に魔力を感じているのは、どうも日本人だけじゃなさそうである。


名の魔法の正体は何か。すなわち、語感の正体は何か。


これは、10年以上にわたる私の研究テーマだった。そうして、2003年、私はとうとう「語感の正体」にたどりついたのである。


すなわち、語感とは、発音時の身体感覚である。それは、口の中で起こる物理効果であって、音響、すなわち耳で聞いた音の印象とはまた別のものである。それこそが、私が発見した「語感の正体」だった。


たとえば、子音Sは、息を舌の上に滑らせて、前歯の付け根の歯茎に当て、乱気流を起こして出す音だ。すなわち、口の中で起こる風である。口腔をすべる息は、乱気流となって華やかに口元を飛び出す。この息の風は、口腔内を冷やすのでクールで爽やかだ。


舌の上を滑る息は微かにつばと混じるため、適度な湿度を持っている。


シュンスケ、セイコ、サヤカ、シノ。S音の名は、爽やかで、華がある。湿り気があるので、ちょっと切ない感じもする。


友人に「ボーイフレンドが出来たのよ。シュンスケっていうの」と打ち明けられたら、本人を見ていないのに、なぜか、爽やかなスポーツ少年を思い浮かべませんか?この名を聞いて、コンピュータおたくの暗い青年を想像する人は少ないはずである。


私の会社では、すべての音素(子音、母音)の口腔内物理効果を割り出し、名前を入力すれば、瞬時にその名のイメージをはじき出すコンピュータシステムを開発した。現在、そのシステムを使って、世界初の商品名の感性評価ビジネスを展開している。


その昔、女が男に名を明かすのは結婚の契りのときだけだった・・・それほどまでに語感に敏感な日本人。言い換えれば、日本語は、語感と象(イメージ)を正確にリンクさせた言語なのである。私は、日本語で育ったからこそ、このシステムを開発できたと自負している。その証拠に、こんなシステム、世界中のどこにもないらしい。イギリスの研究者が、わざわざ、私の話を聞きにきたくらいなのである。


そういえば、ファンタジーの国イギリスは、名前の魔法を漠然と信じている国だった。語感の解析システムが日本で開発され、イギリスの研究者がまずはじめにのぞきに来る、というのも面白い話である。


語感は、聞く感覚じゃなくて、話す感覚に起因する。実は、そう気づいたのは、楽器の奏者が音楽を耳というより体感で楽しんでいるのを知ったときだった。奏者は、楽器の響きで音楽に共鳴する。ヴァイオリン奏者は、ヴァイオリンの振動を通じて音楽を深く味わっている。ことばも同じである。響きで共鳴しあうところに、ことばの原点があるのではないだろうか。


黒川伊保子 (くろかわ いほこ)プロフィール

http://www.ihoko.com/
株式会社 感性リサーチ 代表取締役 http://www.kansei-research.com/
感性アナリスト、随筆家、倉敷芸術科学大学 非常勤講師

1959年生まれ、栃木県出身、1983年奈良女子大学理学部物理学科卒。富士通ソーシアルサイエンス富士通ソーシアルサイエンスラボラトリにて14年に亘り人工知能(AI)の研究開発に従事した後、コンサルタント会社勤務、民間の研究所を経て、2003年8月、感性リサーチを設立、代表取締役に就任2004年世界初の語感分析法『サブリミナル・インプレッション導出法』を発表。サービス開始と同時に化粧品、自動車、食品業界などの新商品名分析を相次いで受注し、感性分析の第一人者となる。 近著に「女たちはなぜ口コミの魔力にはまるのか」(KKベストセラーズ)、「怪獣の名はなぜガギグゲゴか」(新潮新書)、「ラブ・ブレイン」(PHPエディターズグループ)、「恋するコンピュータ」(筑摩書房)、「感じることば・・・情緒論序説として」(筑摩書房)など