JAPAN BGM ASSOCIATION.

■エッセイ・コラム

「J」の謎~「Jポップ」をめぐって
小川博司(理事・関西大学教授)

フランスのシャンソン、イタリアのカンツォーネにあたる言葉は、日本では「歌謡曲」のはずだった。それがいつの間にか「歌謡曲」は日本のポピュラーソングを代表するジャンル名ではなくなっ てしまった。今では「Jポップ」というジャンル名が主に使われている。


「Jポップ」は、1970年代の「ニューミュージック」という言葉と同様、さまざまな種類の音楽を含んでいる。しかし、「ニューミュージック」はそれまでの「歌謡曲」「演歌」「プロテスト・フォーク」に比べれば新しかったのであり、「Jポップ」の「J」もなにがしか「J」なるものを含意しているはずである。だが、それははっきりと言語化されているわけでもない。 日本で本格的にレコード産業が成立したのは1920年代後半である。外資系のレコード会社が、電気録音による新譜レコードを定期的に発売するようになった。1925年にはラジオ放送も始まった。その時期から今日まで80年間の日本のポピュラーソングの歴史を俯瞰してみれば、1920年代後半から1960年代半ばにかけてが「歌謡曲」の時代、1990年代以降が「Jポップ」時代とに分けられ、そしてその間の1960年代半ばから80年代にかけてが過渡期と、大きく三つの時代に分けることができる。


「歌謡曲」は、西洋音楽の影響を受けた日本語の歌である。「歌謡曲」はレコード会社専属の作詞家、作曲家、歌手の分業体制により作られた。近代化・西洋化の航路を進む日本丸という大きな船に乗った人々の心情を表現する全国民的な歌だった。60年代に入り、音楽の西洋化の第二波がやってくる。ロックンロール以降の、主にアメリカのポピュラー音楽が影響力をもつようになる。原語で歌われる洋楽に親しむ人も増えてくる。古いタイプの「歌謡曲」を支持するのは中高年齢層に限られ、古いタイプの「歌謡曲」は「ナツメロ」「演歌」と呼ばれるようになった。また過渡期には、阿久悠、筒見京平ら、複数のレコード会社を股にかけて活躍する作詞家、作曲家が現れ、専属制は崩れていった。


若い世代に支持される新しい日本語のポピュラーソングは、サザンオールスターズに代表されるように、歌詞の意味の伝達よりもリズムとノリを重視したサウンド志向へと変化していった。サウンドの面では邦楽と洋楽の間には時間差があり、邦楽は洋楽を追い続けた。「Jポップ」はサウンドの面で邦洋の時間差がほとんどなくなった時に生まれた。サウンドが同じならば、歌詞の意味が分かった方がいいというわけだ。ミスター・チルドレン、スピッツ、浜崎あゆみなど、歌詞に共感するファンも多い。90年代に入って一気に人気を獲得したカラオケボックスもこうした歌詞重視の傾向に拍車をかけた。


烏賀陽弘道の『Jポップとは何か―巨大化する音楽産業』(岩波新書)によれば、「Jポップ」という言葉は、東京のFM放送局J-WAVEで1989年に始まった「Jポップ・クラシックス」というコーナー名がルーツだという。だが、それはすぐに定着したわけではなく、本格的に定着するようになったのは、1993年に「Jリーグ」が始まってからだという。「Jリーグ」は、日本代表がワールドカップという世界的なイベントに参加することを目指して作られた。烏賀陽は、「Jポップ」の「J」は「国際舞台の中で活躍する日本」「世界の中の日本」というファンタジーを持つという点で「Jリーグ」の「J」と重なるところがあるという。


しかし、現在の「Jポップ」のサウンドは、洋楽とほとんど変わることがないと言えるのかというと、そうでもない。明らかに「J」の音というのはある。琴や三味線といういかにも「J」という記号がないにもかかわらず「J」と呼ぶしかない何かがあるのではないか。今や邦洋の違いは時間差ではなく、質の違いになってきたのである。音楽だけではない。テレビも「Jテレビ」と言えるような様相を呈している。特にバラエティ番組は、今や日本独特の形を作りあげたように見える。スタジオにタレントが何人かいて、取材ビデオを見ながらのクイズやトーク。冷やかし調のナレーションと笑いどころを強調するテロップ……。ここまで情報密度が濃くて「親切な」番組を作っている国が他にあるだろうか。


今宵出演するのは、日本に長く在住する外国人ミュージシャンである。彼・彼女らは「J」なるものを感じているはずである。それぞれのミュージシャンがそれぞれのとらえ方を提示してくれるだろう。「J」とは素材の問題なのか。それとも、時間や空間のとらえ方の問題なのか。私たちがあいまいに感じている「J」と同じものか違うものなのか。いずれにしても、「J」の謎を解く機会になるにちがいない。


小川博司(おがわ ひろし)プロフィール

関西大学社会学部教授、日本BGM協会理事。1952年生まれ。
埼玉大学卒業、東京大学大学院社会学研究科修士課程修了。1986年桃山学院大学社会学部助教授、1955年同教授、1996年関西大学社会学部教授。1997年より日本BGM協会理事。専攻は社会学(メディア文化論、音楽社会学)。現代における音・音楽への社会学的アプローチに取り組んでいる。著書に『音楽する社会』(勁草書房)、『メディア時代の音楽と社会』(音楽之友社)など。