日本が世界に誇る漫画家・故手塚治虫邸のご近所に住まいを移して得た我が家のお宝は、東西両文化の鐘の音。毎夕、東に開け放った窓の遠く向こうから、お寺の鐘が「ごぉ~んぉんぉん・・・」と厳かに聞こえてくるかと思えば、続いて教会の鐘の「カランカラン、カランカラン・・」という華やかな音色が、風に運ばれてくる。
確かにこれらは、同じ「鐘の音」でありながら、その様相はかなり異なっている。西洋の鐘が何回も打音を重ねるのに対して、日本の鐘は一音で長い余韻を響かせる。比較的澄んだストレートな音色に対して、唸りやゆらぎのある複雑な音色・・・。
こうした音色の違いからか、西洋の鐘の音は、上へ上へと昇る天上志向が、そして日本のそれは、地を這うような大地へ向かう志向性が感じられる。それは舞踊や発声に見られる身体性とも通じるものだ。腰の重心を高い位置に保持し、つま先立ちや跳躍によって上方へと向かうバレエと、腰を落とし、ひざを曲げながらすり歩くように舞う日本舞踊。胸を開き、声を頭の前面上方の空間にぶつけるようにして響かせる西洋的な発声と、肝や丹田を重視し、腹の底から深く響かせる日本的な発声。こうした志向性の違いは、天上の唯一神信仰と八百万(やおよろず)の神をいただくアニミズム的信仰の違いによるものとも考えられる。
もうひとつ、ウィンドチャイムと風鈴を比べてみよう。夏になるとインテリア雑貨のお店で涼しげな音色を奏でているウィンドチャイムは、4本ほどのアルミ棒が和音を奏で、キラキラと高音の澄んだ音色が軽やかだ。
日本の風鈴でも4本の棒状金属をぶら下げた同様の形状のものがある。知る人ぞ知る明珍(みょうちん)火箸(ひばし)の風鈴だ。明珍家は48代にわたって甲冑(かっちゅう)をつくってきたが、明治維新以降、火箸など生活用品の製造に転じ、それも需要が少なくなって昭和30年代に風鈴を考案したところ、その妙音が大変な人気を呼んでいる。音の高さとしてはウィンドチャイム同様高音なのだが、その音色は単純に「澄んだ」ものではなく、微妙にずれた不協和な響きを含んでいるため、鈍(にび)色(いろ)の複雑な音色とゆらぎのある余韻が独特な魅力を生み出しているのだ。
こうした身近な音具や伝統的な音楽を比較してもわかるように、西洋ではひとつひとつの音には純粋な響きを追い求め、それらを複合させて構造化することによって複雑性を生み出すのに対し、日本ではむしろ、1音そのもののなかに複雑性を見出す点に特徴がある。その複雑性は、西欧の伝統的な審美眼からすると「雑音」「噪(そう)音(楽音でない音)」とくくられてしまうものだが、いわゆる外国人アーティストを魅了する力は、まずはこの音色の複雑性にあるのではないだろうか。
そして、この「雑音性」「噪(そう)音性」ゆえに、日本の音は自然の音につながり寄り添おうとする。尺八の演奏において目指すべき至高の音は、竹林を吹きぬける一陣の風の音であり、『源氏物語』では、管弦の楽の音(ね)を楽しむ場面においても、それらが松風や川波の響き、松虫の音と相(あい)和(わ)してこそ「いとおもしろき(感興きわまる)」と愛でられているのである。
こうした日本の音と自然音との深い関係は、近年工学的にも裏付けられつつある。既に、波の音などの自然音には、人間には聞こえない高さの超音波が多く含まれており、そのことによってリラックス時に発生するα波が顕著になって「心地よさ」が増幅されて感じられることが実証されていたが、最新の研究では、邦楽器が奏でる噪(そう)音(尺八のムライキ、箏でのスリ、三味線のスクイ、ハジキなど)も同様に、高周波の超音波が多く含まれていることがわかったのである(※)。
ここで重要なのは、日本の音が自然音と一体化するということだけではなく、自然音に聴き入り、それらが象徴する彼方(かなた)の世界を「きく」きっかけとなっている、ということである。江戸時代中期に考案された水(すい)琴窟(きんくつ)の妙音もそれ自体に魅力があるものだが、その余韻に耳を傾けているとそのうちに、それまで気づかなかった周囲の音―風にそよぐ葉ずれの音やかすかな虫の音(ね)などに耳が開かれ、今度はしばしその場の大気全体を聴き込むような無念無想の境地へと誘われる。。水(すい)琴窟(きんくつ)の音が周囲の自然音へと耳を開き、さらに音を超えた世界の奥深さに耳を澄ます「きく」態度を呼び起こすのだ。
まさに日本の音は「きく」ことを深め、きく者と音の向こう側に広がる彼方(かなた)の世界を介在するメディアとしてはたらいていると考えられる。このメディア性こそが、複雑な音色を特徴とする日本の音の最大の魅力ではないだろうか。
※田村治美、堀田健治、山崎憲「日本の文化的背景と音療法の基礎研究~超音波を含む自然音と日本の音が生理・心理に及ぼす影響をめぐって」(第4回、第5回 日本音楽療法学会学術大会 要旨集 プロジェクト研究)
東京藝術大学大学院修士課程(音楽学専攻)修了。サウンドスケープ調査や水 琴窟研究を行う。公園や公共施設等における音環境および音響装置等のコンサ ルティング、プランニング等も実施。大学等の講師も勤めている。