JAPAN BGM ASSOCIATION.

■エッセイ・コラム

「コントラバスを弾く三人のおじさん」
コトラバス奏者・作曲家 溝入敬三

人生に悩んでいた娘は或る日、音楽学校を受験する先輩の噂を聞く。そんなうまい話! 自分は、何も楽器はできないけれど、あんな先輩の下手くそなクラリネット程度で良いのなら楽勝だと思った。学科試験は易しいらしいのも魅力的。そして専攻は、音楽の先生が勧める競争率の低いコントラバスに決定。(注1) さて次に彼女のしたことといったら、お茶しながらの沈思黙考。そして悟った。毎日の練習は不自然だ。持って生まれた能力を解き放てば、無理なく上達する方法があるはずだ! この子は怠け者だったのである。


とうとう母親は怒り出した。大きなコントラバスが、埃を被り、家を占領していたのだから。高かったし。母の声が、バス通りまで響き渡った。


さて、そこに通り掛かったのは、この国の女王様。何事かと、自ら玄関のチャイムを鳴らしてお尋ねになった。「立ち入った事をお尋ね致しますが、そのお嬢様は、どうして叱られているのでしょうか?」母親は、申し上げた。「そんなに一日中コントラバスを練習していては、体を壊しますよと、叱っておりました。」と答えた。母親は見栄っ張りだった。女王様は大変喜ばれた。「実は私も、コントラバスが大好きなのです。お城に来て弾いて下さいませんか? 丁度、王子は花嫁募集中だし。コントラバスを弾く嫁。なんて、素敵でございましょう?」(注2) 母親も娘も驚いて床から飛び上がったが、下に降りて来た時には気絶していた。

女王様は、娘を城に連れて行き、三つの部屋に案内した。一つ目の部屋には、コントラバス独奏曲の楽譜、二つ目には、世界中のオーケストラ曲の楽譜、三つ目にはジャズの楽譜が、アドリブのコピー譜も含めてどっさりあった。「これを全部、上手に聴かせて下さい。そうしたら王子と結婚式をあげましょうね。」


娘は、それからの三日間を泣き明かした。練習しないで、うまくやる方法が、まだ見つからなかったから。四日目になると、また王女様がいらっしゃった。しかし娘が何もしていないのを見て、たいそう不思議がった。「母が恋しくて。」娘は、しおらしく言った。女王様は、不憫に思ったが、「明日からは始めてもらわなければなりませんよ。」とおっしゃった。


その夜、娘が泣いていると、三人のおじさんが突然現れた。一人は、左手の指先が、ビーバーの尻尾のように大きい。もう一人は、右腕が丸太ん棒のように太い。三人目は、右手の指が大きなスリコギのようで、大声だった。「あんたの代わりに、わし達が弾いてあげよう。だが婚礼のパーティーでは、新郎新婦と同じテーブルに招待してくれなければならないよ。」と言った。


次の日から三人は、各々三つの部屋に入って入れ替わり演奏した。ドアの外で聴いた女王様は、それを娘の演奏だと思って大変喜んだ。


さて、いよいよ婚礼の日。世間のことに疎い王子様は、同席したおじさん達に、お尋ねになった。「あなたの左手の指は、どうしてそのように大きいのですか?」一番目のおじさんは答えた。「左手の指で、コントラバスの太い弦を端から端まで押さえ続けておりますから。」(注3) 次に、二番目のおじさんに尋ねた。「あなたの右腕は、どうしてそんなに太いのですか?」彼は答えた。「右手の弓で、できるだけ大きな音を出しているからでございます。」(注4) そして三番目のおじさんに尋ねた。「あなたの右手の指はどうしたのですか? そして、なぜそんなに大きい声なのですか?」三番目のおじさんの返事でシャンデリアが粉々に割れて、広間いっぱい、飛び散った。「ジャズベースをやっているからでございます。」(注5)


王子様は、ガラスの破片を払いながら、「それは、大変ご苦労様ですね。」と静かにおっしゃり、娘の耳もとでささやいた。「もしもよろしかったら今後、コントラバスとかベースとかいったものは、止めて下さいますか?」 娘は、にっこりと微笑んだ。


注1 殆ど私のこと。他にもファゴット、チューバ等の低音、大型楽器は、あまり人気がない。
注2 こんなことはあり得ない。
注3 独奏曲は、音域が広く音数が多く、長年弾いていると、指先に大きなタコができ、左肩は盛り上がってくる。
注4 オーケストラでは左手も大変だが、管楽器や打楽器に負けない音量を要求されるのだから、たまったものではない。右肩、右腕は、酷使され肥大して行く。
注5 ジャズでは、指で金属の太い弦をはじくのが主だから、右手は足のかかとのようになってしまう。また私の友人のジャズ奏者は、クラシック奏者に比べ、大声で喋る人が多い。ジャズのほうが楽しいからか。


溝入敬三(みぞいり けいぞう)プロフィール

コントラバス奏者、作曲家。1955年広島県福山市生まれ。東京芸術大学卒業。独ダルムシュタット国際音楽研究所よりクラニッヒシュタイナー音楽賞、日本現代音楽協会より作曲新人賞、第十回朝日現代音楽賞受賞。仏アヴィニョン国際コントラバスフェスティバルBASS'94のゲストソロイスト、95-96年文化庁芸術家在外研修員としてカリフォルニア大学サンディエゴ校に留学。

《著書》

『こんとらばすのとらの巻』春秋社刊1,785円

《CD》

『コントラバス颱風』ALCD-56コジマ録音 http://www.kojimarokuon.com/index2.html
『 コントラバス劇場』ZIP-0009ジパングプロダクツ
『猫に小判』ZIP-0020ジパングプロダクツ
試聴&購入はこちらまで。http://www.radio-zipangu.com/