JAPAN BGM ASSOCIATION.

■エッセイ・コラム

音で時代を振り返る―『宮城なつかしCM大全集』の企画から発売まで
チーフプロデューサー・協会特別会員 伊藤豊生

『宮城なつかしCM大全集』は、市民有志と東北放送施設とが一緒になって作り上げた、かつて宮城県内で広く聞かれたラジオCMやシンボルサウンド、それらにまつわるエピソードなどを紹介したCDである。


40年もCM制作業務をしていると自然と多くの音素材が持ち込まれるが、その中には、ラジオの全盛期である昭和30~40年代のものがかなり含まれている。それらを眺めていると、その当時の個性溢れる商店街や懐かしい時代の風景がよみがえってくる。これらのテープの大半はオープンリールで、デジタル化の中、このままでは消え去る運命にある。ある時、ふと考えた。「これらは、ひょっとしてお宝にならないだろうか?」。こうしたCM素材や杜の都のシンボル音などを集めて、宮城の文化史、風俗史としてまとめられないだろうか、このことは長年CMを手がけてきた当社の使命であり社会貢献にもなるのではないか。そんな思いから『宮城なつかしCM大全集』の制作企画は始まった。


早速作業に入ったものの、その困難さは想像以上のものだった。広告主からの許諾はすんなり得られたが、素材の収集、権利者との許諾交渉は、さすがに年数を経ているだけに困難さがつきまとった。商品化は無理かもしれないという思いが脳裡を掠め、あきらめかけた時だった。この企画に賛同してくれる有志が現れたのだ。「お互いの知恵を出し合っていいものを作ろう」。こうして、当社社員に有志3名、計7名からなるグループが結成され、“宮城なつかCM保存会”と命名して活動を再開した。


当初は音楽のみの単体で構成し、価格を抑える(1,500円)つもりだったが、取材を重ねるうち、曲にまつわるエピソードや秘話に魅せられるようになり、これをなんとか生かしたいと思う気持ちが強くなってきた。しかし、これらを冊子にまとめれば価格は当初の倍以上となる。ヒット曲でもご当地ソングでもないCDにそんな大枚をはたいてくれる人があるだろうか。不安は尽きなかったが、今だからこそできるいいものを作ろうという皆の強い意気込みから、冊子の編集に踏み切った。


そして、スタートから5年の歳月を経て、今年(平成19年)4月、ついにCDは完成した。収録曲数は50曲、県内の有名店・老舗はほとんど網羅した。収容時間は73分。冊子は71ページの大部となり、歌詞、作詞・作曲家、歌手、制作年など分かる限りのデータ、それにエピソードや当時の写真(モノクロ)を掲載した。


この企画は、最初から儲けを見込んでおらず、収益の一部は寄付することになっていた。こうした素朴な市民の活動をマスコミが見逃すわけがなく、発売予定の一ヶ月前から新聞、テレビの取材があり、それは発売当日まで続いた。おかげで、広告費ゼロで宮城県内くまなくPRすることができた。そんな効果もあってか、4月25日の発売には、開店前から行列ができ、なんと翌日には完売してしまった。ここまで話題になった理由は何かと新聞社の取材を受け、それがまた記事になったりした。完売後、アンケートの返却率は8%を越えたが、どれもがこのCDに共感してくれる暖かい言葉だった。


そして、残るは公共図書館へのCD寄贈と「あゆみの箱」への寄付の贈呈だ。これらもそれぞれ5月22日と7月9日に執り行われた。奇しくも、「あゆみの箱」への贈呈式に出席した常務理事の天地総子氏は、かつては“CMソングの女王”と謳われた歌手であり、このCDにも氏の歌唱が何曲か収録されていたのだった。


こうして「宮城なつかCM保存会」は、全ての仕事を終え、解散した。


音とは不思議なものである。映像とは違い、音はその人の中に独自の世界を作り上げることができる。このCDは、恐らく宮城県以外の人が聞いてもピンとこないだろう。しかし、同じ時代を、ここ宮城で過ごした人たちには、それぞれの心の中に当時の様々な情景や思いがよみがえったことだろう。昭和30~40年代といえばさしたる娯楽もなく、ラジオやテレビ、あるいは街頭で流れるCMソングを誰もが自然に口ずさんでいた。夢があり希望に燃えた時代だった。このCDは、そんな良き時代を振り返るための案内人となったのである。これらの歌や音を共に聞き共に歌った我々にとっては、まさに「お宝」と呼ぶにふさわしいCDであったと自負している。


伊藤豊生(いとう とよお)プロフィール

『宮城なつかしCM大全集』公式ホームページhttp://www12.ocn.ne.jp/~bgmbgm/miyagiCMofficial/miyagiCMtop.htm
東北放送施設株式会社http://www12.ocn.ne.jp/~bgmbgm/